建築雑感2019

 

 先般の台風19号で被災された方々には改めてお見舞い申し上げます。

 昭和,平成と激動の時代を歩んで今令和元年も暮れようと相なりました。時系列で話しを進めて行くことにしよう。

 建築鉄骨には今から43年前から携わって来ました。1年生の私は現場も知らないうちに毎日毎日施工図書き、上司は「早くマンガを書けよ。そのマンガ何時挙がる?」という様に。当時私が通った会社は設計図(意匠,構造)を「絵」と俗称していたんだ。俗称と言えば、それだけでこの欄が埋まってしまうから、もう止めよう。
 1975昭和50年代に中小ビルで流行った日型断面というのがありました。coverPLを当てる為、なかには中に入って見えなくなってしまう為誤魔化しを効かした鉄骨も有ったと思います。私は誤魔化しは不器用なので出来ませんでした。今思えば隅肉溶接長が長い建築鉄骨の最たる物で有ったと思います。
 1980年代に入って、ようやくコラム構造の建築鉄骨が普及してきました、このデティールはまもなく40年になります。この間非破壊検査の普及、阪神淡路大震災に遭い建築鉄骨が大きな焦点になります。完全溶け込み溶接~スカーラップの見直し~エンドタブ~パス間温度等あちこち議論がなされました。特に地方の設計屋さんはよくは解釈していなくて、我々ファブは苦労したものです。
 1990年代の後半からいよいよパソコンの時代に突入。手書き施工図はCADやらDXFやらで床書き作業は2000年初頭から建築鉄骨には必要が無い状態となっています。又構造計算もパソコンに全てデジタル化されている。そして2005年姉歯事件が起きてしまった。我々もその影響を受けたのは言うまでも無い。2008年にK5622の廃止(シックハウス症候群)、現在はK5674が多く仕様に書いてある。最近では基礎杭の偽造報告書、耐震ダンパーの偽造報告書そしてここ2年近くのHTBのひっ迫等起こっている。機械に頼る、デジタルを頼るのはいいが、頼られては人間の負けだ。我々は製作に当たり一つ一つ「果たしてこれでいいのか?」を検証して行かなければならない。デジタル溶接機の普及で腕が無くても鮮やかにキレイに溶接が出来るのには感心する。又木造住宅は在来工法が見直され、ほとんどの現代住宅は言い方は悪いが大手大量生産の餌食。10月末文化遺産の沖縄首里城が消失してしまったのも記憶に新しい。残念でならない。

 朝メールチェックをして1日が始まり、AIだのIOTだのよくわからない時代に差し掛かっているのが令和元年だった。電車に乗れば皆スマホを睨んでいる。おかしな時代に差し掛かっている様な気もする。いつも言える事だが製作のプロセスが一番大事。扨、現場以降は省略。安心して下さい。

ぼつぼつここらでおしまいとさせていただきます。お疲れ様でした。
 今夜は蕎麦が御馳走の様です。蕎麦に辿り着くまでのプロセスが好きなんです。楽しみなんです。切ない事にこれが女房にはなかなか理解して戴け無いんです。尚、年代順に自分なりに書いてきたつもりですが、ズレがあるかも知れません。ご容赦ください。来る年が皆様にとって佳き年となります様お祈り申し上げます。

赤羽広治

(2019暮、長野県鐵構事業協同組合向寄稿文より)